チベット日記


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2001年10月1日(月)

実学とは・・・

かなーーーり久し振りの更新となってしまったわけだが、今日は学問、その中でも役に立つ学問とは一体何かを考えてみたい。

現在、僕は1年後の試験に向けて勉強しているわけだが、勉強していてときどき空しくなることがある。公務員試験を受けるにはいくつかの教科を勉強しなくてはならないのだが、これホントに役立つのか?と疑問に思うことがあるのだ。実務で多少は関わりがあるであろう法律科目ならまだしも、物理や化学といった一般科目を研究者でもない僕が勉強する必要があるのか?と。

だったら、まだ普段の生活に役に立つ実学(実用的な学問)というものを学んだ方が良いのではないか、と僕は思うのである。ということで、僕のいう実学とは何かということを、僕の家での例をいくつか挙げて説明したいと思う。

僕の家では、トイレの水がよく止まらなくなることがあるのであるが、そんな時、僕の父親の持つ実学が大いに役に立つのである。ウチの父親は別に水道屋でもないわけだが、トイレの裏の方をキュキュッと触り、あっと言う間に直すことが出来るのだ。また、自転車の修理でもそうである。別に父親は自転車屋のわけではないが、ブレーキの具合が悪いと言うと、これまたキュキュッと一瞬で直してしまうのだ。他にも、障子を貼るだとか、どこで習ったか知らないがなぜか出来てしまうということが父親には多いのだ。(ちなみに父親は普通の会社員です。)

「なぜか分からないが出来てしまう。」
すなわち、これこそが実学ではないかと僕は思うのである。学校で習うわけではないが生活していく上で役に立つ、ということはすごく重要なことではないかと思うのだ。

といろいろ理屈を述べてきたが、結局のところ試験に受かるために勉強はしなきゃいけないわけで・・・。仕方なく、僕はまた教科書をめくるのだった。まあ、実際、試験でトイレ直せって言われても困るしね。


2001年10月2日(火)

無意識下の行動

慣れた道を車なんかで走っていると、「(あれっ?もうこんな所にいるよ。)」ということはよくあると思う。

もちろん、車を運転しているぐらいなのだから、完全に気を失っていたということはあり得ない。しかし、どうやって思い出そうとしても、どこをどう走って現在地にたどり着いたのかさっぱり分からない時がある。
つまり、人間というのは、意識して行動しなければ、その行動は全く記憶に残らない構造になっているということだ。

そうなのだ。人間は慣れてくると、特に意識しないで行動していることが多いのだ。普段の生活においても、案外そういうことは多い。これを突き詰めていくと、何にも考えずに淡々と日々を過ごしていれば、何にも記憶に残らず、ただ年を重ねていくだけということになるのだ。これはとても怖いことだ。

そういう意味では、自分はまだ幸せだったなあと思うのである。思い返すことの出来る思い出ももたくさんあるし、何より大学での4年間はとても密度の濃いもので、忘れることなど絶対に出来ないからである。

これからあと何年生きるか分からないが、少しでも記憶に残るような出来事を数多く経験したいものだ。少なくとも、車に乗っている時のように、無意識のうちに通りすぎてしまう景色のような人生だけは送りたくないものである。


2001年10月6日(土)

自転車

今度、ホームレスを題材とした米倉涼子主演の映画、「ダンボール・ハウスガール」が公開されるらしいが、現実に暮らしているホームレスの人はそれを見たらどう感じるだろう?

僕は、学校に行く途中、いつも同じ場所で同じ人たちを見かける。彼らは、いわゆるホームレスと呼ばれる人達だが、こう言うと失礼かもしれないが、結構みんな小ぎれいにしている。とても、ホームレスには思えない。

僕がいつも見かける人たちは、3人ぐらいでいつも固まって歩道の隅で喋っているのだが、内1人はなんと、女性だ。朝、僕は学校に行く時に彼らを見ながら通り過ぎていくのだが、夕方に学校から帰っていく時にもやはり同じ場所にいる。つまり、そこが彼らの家なのだろう。不況の影響だろうか。以前よりこういった人を見かけることが多くなった気がする。

それにしても、なぜ彼らは路上で生活することをを強いられているのであろうか。もしかしたら、好き好んでこんなことをやっているのだろうか。僕は違うと思う。彼らは、一刻でも早くホームレスの生活から抜け出したいと思っているはずだ。それでも、この生活をしなくてはならないというのは、余程の事情があるに違いない。

彼らは3人とも自転車を持っているのだが、それらの自転車は、荷台に物を積めるように改造してあったり、手が寒くないようにカバーがかけてあったりと、いろいろカスタムしてある。さらには、こまめに磨いてあるのかピカピカである。

「この人たち、ホームレスをやってるのにそんなお金あるのか。」
と一瞬思ったが、それはすぐに間違いだと思った。
彼らにとって、自転車は彼らの財産の全てであり、自転車をカスタムしたり磨いたりすることは、金持ちがデッカイ外車を買って周りに誇示するのと同じで、一生懸命自己主張しているように僕には見えたのだ。

そう思ったら何だか急に空しくなって
「生きるって何なのかなあ。」
と思ってしまった。

どんな状況においても、人間ってのはプライドだけは持っているものなんだけど、そんなものは結局、何の役にも立たないものなのだ。

こういうものを目の当たりにすると
「大して県民に恩恵のない万博なんか推進するんだったら、そのお金を使ってダンボールのオッサンたちを何とかしたれよ!」
と心底思ってしまう。

そんなことを思いながら、今日も僕はピカピカに光る自転車を通り過ぎた。


2001年10月9日(火)

「花はなぜ美しいのか それは、ただそこに咲いているからだ」

というような詩を哲学の時間に習ったのを思い出した。花はただ咲いているだけ。つまり、ただ自分が咲き誇ることだけを考えて生きているから美しい、というのだ。「なるほど。」と思った。人はあまりに多くのものを与えられすぎて、それゆえに悩み、苦しみ、争ったりするものある。だから、その姿は花に比べて当然、醜い。

自分なりの咲き方。僕はそれを見つけられるのか?
一瞬の満開を迎えるために、ただそれだけを考えて生きていく。
そんな生き方が僕には出来るだろうか?

自分なりの咲き方。
それが何なのかさえも分からず、僕は今日も迷いながら生きていく。


2001年10月10日(水)

腹立たしきもの

腹立たしきもの

駅の階段などで、こちらが見る気もないのに後ろを確認してスカートを押さえながら小走りで昇っていく女子高生。しかも、それがブサイクな女子高生だった時。むしろ、パンツが見えてしまったらこちらが怒りたいくらいである。

腹立たしきもの

朝、ものすごく一生懸命走って電車の席を確保したのに、後から乗ってきたオッサンに自分の両サイドを取られた時。しかも、座ったオッサンから異臭がする場合、怒りは頂点に達する。そういうオッサンは大体タバコを吸うので、ヤニの匂いが体に染みついてるのだ。さらに、そのオッサンが昨日食ったであろう餃子の匂いが加味されると、もう耐えられない。これは相当つらい。ヤニと餃子のダブルパンチだ。

腹立たしきもの

電車の中でウォークマンを大音量で聞いている奴。あまりに音漏れしすぎて、聴いている曲名が分かるほどの時。曲名当てゲームかっつうの!

腹立たしきもの

電車の中で靴下を履き替える女子高生。思わず見入ってしまった。あっ。これはいいわ。いいのかよ!

一番腹立たしきもの

1時間に2本しかない電車。絶対に待つことになる。今日も待った。頼むから本数増やしてくれ。


2001年10月14日(日)

フリマ

本日、若宮大通公園にて行われたフリーマーケットに、スキー部の同期の女性陣に便乗して参加した。僕の出した商品は、現在着ていない服や腐ったようなCDである。結果を言ってしまえば、僕の売上高は2000円強ぐらいだった。まあ、便乗でこれだけ売上があれば大満足である。

今回僕は、実は売ることよりもフリマに来る人の方に目がいってしまった。とにかく、オバちゃん達は「すごい」の一言に尽きる。もう、値切る値切る。とにかく、値切る。「これ、ココがちょっと汚れいてるから600円ね!」って1000円にも満たない商品なのにこれだけ言えるものなのかと、女性陣の出した商品に次々と勝手に値段をつけていく様子は圧巻であった。

さらに、フリマに買いに来る人も面白かったが、商品を売っている側の人もなかなか面白かった。「こんなもん絶対買わんだろう。(苦笑)」というような物まで、商品としていろいろ売っているのだ。例えば、訳の分からない魚の置物(マジで意味わからん)とか、使い古されたローラースケート(流行っていても買うのが嫌なぐらいボロボロ)だとか、金をもらっても持ちかえりたくない商品などが並んでいるのだ。

本当にいろいろな人がたくさんいて、それを眺めているだけでも十分楽しかったのだ。「100円でもまけて欲しい」と頑張るオバちゃんたちを見て、物が溢れているといわれる時代においてこんな人達もいるのだと思って元気が出たり、どんな物でも売ろうとする人の姿を見て、物に対する価値観は人によって違うものなんだなあ、と感心してしまったり、フリマもなかなか勉強になるものだ。

人間って力強い生き物なんだな、とつくづく感じさせられる一日だった。


2001年10月23日(火)

大人論

先日、高校時代の友人と久し振りに飲んだわけだが、その時友人のIくんから「俺、3月に結婚することになったから。」と報告を受けて正直、僕は「コイツすごいなー。大人だわ。」と思ってしまった。

しかし、気がつくと僕ももう今年で23才である。法律上は立派な成人、つまりは大人だ。にも関わらず、友人から結婚すると聞いた時、すこぶる「こいつ大人だー。」と感心してしまったのだ。結局、僕なんて法律上は大人でも自分自身がやっていることは子どもなわけで、大人としての実感などないわけである。だから、実際に今いきなり所帯を持て、と言われてもとてもやっていく自信なんてあるはずがない。そういう意味も込めて「大人だー。」という素直な感想が生まれたのだ。

しかし、自分が中学生の時想像していた23才といえば、もうスゴイ大人である。難しい政治の話なんかしちゃって、島耕作のように大人のドロドロした関係なんか経験しちゃったりして、そりゃあもうスゴイもんだとばかり思っていた。ところが、現実といえば、政治の話なんかほとんどしないし、Hな想像もするし、TVゲームも未だにやる、ただのデカイ子どもである。

じゃあ、いつになったら本当の意味での大人になるのだろうか?なんか、このままだといつまで経っても、僕は大人になれないような気がしてきた。島耕作は置いておくとして、自分自身が自分を大人だと自覚するのは一体どういう時だろうか?巷の人達はみんな自分を大人と自覚しているのだろうか?

結局のところ、自分自身で線を引くしかないのかな?就職を期にとか、結婚を期にとか。まあ、何れにせよ、まだまだ自分は大人にはなれそうにない。うーん。大人ってえらい!


2001年10月26日(金)

白線流し

毎週レギュラーでやっている時にリアルタイムでは見たことがなく、実はスペシャルでの今日初めて、ドラマ白線流しを見た。レギュラーがいつ頃やっていたかもすでに忘れてしまったが、当初はただの「青春さわやかストーリー」だと馬鹿にしていたため、僕は見る気など更々なかったのである。

今回のスペシャルでは、主人公の彼らがちょうど大学を卒業して、現在の自分と同じぐらいの年齢という設定である。そういったこともあったせいか、恥ずかしながら少しドラマに感情移入してしまった。まあ、もっとも自分の高校時代には彼らのようにいい思い出は何一つないが・・・。

ドラマでは、それぞれの道に進みながら、それぞれ悩みを抱え、分かっていながらなかなか思うように事が進まない主人公達の姿を描いていた。それが、どこか今の自分の姿とピッタリ重なってしまい、ついつい見入ってしまったのだ。社会人の人たちから見たら、こいつらは甘ただのちゃんと映るかもしれないが、僕は素直に共感できたのだ。

さらには、

「俺(私)は、夢をなくしていた。」

とドラマの中で主人公の二人が言っていたが、その夢を持つことができることさえ、僕には羨ましかったのだ。
今の時代にどれだけの人が夢を持って、夢を叶えているのか知らないが、その夢を持つことすらできていない自分があまりにも不甲斐なく感じて、現在の自分を見返すには「さわやか青春ドラマ」も悪くないなあ、と思ったのである。3日に一回ぐらいは見たいぐらいである。


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Akiary v.0.51