チベット日記


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2002年1月29日(火)

滅びよ、日本。

呆れた。あまりに酷いニュースを久し振りに聞いたからである。

雪印、今度は偽装工作。昨年の不祥事に続き、今度は海外産の輸入牛肉を国内産の牛肉と偽っていたのだという。一社員の判断だというが、恐らく会社ぐるみの行為であることは間違いないだろう。

それにしても、雪印は前回の食中毒の事件を全く教訓にしていない。当時、「消費者の皆様の立場に立った経営を云々・・・」などといった全面広告が新聞に出されていたのを思い出したが、それも全くの嘘っぱちである。消費者が狂牛病で食品について慎重になっているこのご時世に、さらに消費者を裏切るような事をしては、もう雪印は信頼を取り戻すことはできないだろう。

もう一つさらにがっかりさせられることがあった。田中真紀子外務大臣の「言った、言わない」騒動である。はっきり言って、「もうホント、どーーーーーーうでもいい!」。今回の騒動で、なぜか大橋巨泉が議員を辞職した(良い悪いは別として)そうだが、大橋巨泉どころか、国民全員が呆れかえってるいるのだ。巨泉が国政に対して嫌気がさして、議員辞職するのも分かる気がするのだ。

みなさん知ってますか?国会って1日開くと諸費用全部で、2億円かかるそうです。

はぁ?と聞き返したい金額である。もうホント、「言った、言わないで貴重な国民の税金を無駄に使うなーーー!」と声を大にして言いたい。国権の最高機関で議論する内容が「指輪」だとか「ウソつきだ」だとか、そんなに下らないことに金使うんなら国会を閉会して、寒い空の下寝ているホームレスのオッサン何とかしたれよ!と真剣に思ってしまう。

雪印にしても国会にしても、消費者であるとか国民であるとか、ある意味本当に大事にしなくてはならないものを完全に無視しているのではなかろうか。このままでは日本の未来は本当に危ないし、「いっそのことそのまま滅んでしまえ!」とさえ思ってしまう。まあ、これは暴論であるが、最近起こった2つの出来事から共通に感じ取れることではないだろうか。


2002年1月31日(木)

ジンジャーエール

今日カテキョウからの帰り道、最近のお気に入りアーティストである「くるり」を聞いて帰ってきた。彼らの曲はすべて好きなものばかりだが、彼らの曲の中でも僕が特に好きな曲に「バラの花」という曲がある。その「バラの花」の中でも僕が好きなフレーズはこうだ。

♪ジンジャーエール買って飲んだ。こんな味だったかな?

思い出というものは何か「物」に結びついて思い出すことがある。例えば、古いCDなどはその典型ではなかろうか。普段は全く聞かずにほこりを被っているが、何かの機会に聞くことがあったりすると、それにまつわる思い出が鮮明に蘇るものだ。僕なんかはミスチルの「深海」なんて聞くと、暗ーい高校時代が浮かぶものである。

いずれにせよ「物」には何か思い入れがあるわけで、「物」と思い描く「イメージ」というものは切っても切れない関係であるが、稀にその「物」と「イメージ」が乖離してしまうことがある。

♪ジンジャーエール買って飲んだ。こんな味だったかな?

思い出の中ではジンジャーエールがあんなにおいしくて毎日でも飲めたのに、今飲んでみると微妙に味が違っていまっている。それは、ジンジャーエールの味が変わったのではなく、自分が変わってしまったのだ。思い出はいつまでたっても美しいままなのに、現実では、自分が思い出とは変わってしまった、というどこか切なげな詩だなあと思って家路に着いた。(あくまで僕の勝手な解釈です。)

from 「TEAM ROCK」くるり


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