チベット日記


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2002年5月1日(水)

おまけ

巷では今、おまけブームである。おまけをお菓子や雑誌などに付録を付けて、他の商品との差別化を図るというメーカー側の意図が働いているらしいのだ。

そういえば、僕も昔おまけを集めるのに必死になったものだ。僕達の世代のおまけといえば、やはり「ビックリマンチョコ」であろう。当時、小学生だった僕にとって30円のチョコでもそんなに買えるものではなかったが、中には新シリーズ発売と同時に箱ごと買い(大人買いというらしい)、周りから羨望の眼差しを受けるという輩もいたものだ。

さらには、チョコを買うことが目的で無くなり、シールを得るがためにチョコを捨てるという現象まで起き始めたため、僕の学区ではビックリマンチョコを買うことが禁止されたほどであった。それほどまでにして、僕達はおまけを集めるのに必死になっていた。

そして、時を経て今再び「おまけブーム」が来ているのだ。代表的なのは、ペットボトルのボトルキャップである。例えば、スターウォーズシリーズの物の中には、マニアの間で10万円以上で取引されるものもあるらしい。

僕はそこまでマニアではないが、なんかおまけがついているとついつい買いたくなってしまうのは確かなことである。昔はコーラなどは浴びるほど飲んだのだが、最近はジジイになったせいか全く飲みたいという気が起こらない。だから、ボトルキャップも集める気にはならないのだ。

しかし、今日たまたまコンビニに行くと、コカ・コーラに何かおまけがついているのを発見したのだ。どうやら、今コカコーラを買うと、ワールドカップオリジナルLEGOがついてくるということである。そういうわけで、何か珍しさに魅かれて、久しぶりにコーラを買ったのである。

僕はワクワクして家に帰って、おまけの袋を開けたのだが、すると入っていたものは・・・。

・・・スタジアムの照明。

それはないでしょーーー!ワクワクして開けたら「照明」ってアンタッ!人間じゃないじゃん!物体じゃん!これは、ほとんど詐欺である。

今回のショック度は、まるで「ロッテだと思って買ったら、ロッチだった。」くらいショックでした。あぁー。もう一回買いにいこっかなぁー。


2002年5月5日(日)

血は争えず・・・

現在、午前6時過ぎ。こんな時間に更新するとよほど暇人だと思われそうですが、そうです。よほどの暇人なんです。早く起きても手持ち無沙汰でやることが無いのです。

社会人の人には申し訳ありませんが、普段はもう少し遅くまで寝ております。しかし、今日は特に予定もないのに、なぜかお目目がパッチリです。なぜでしょうか?

ここであることに気がつきました。もはや下の階ではガタガタと音がしております。

父親です。

彼も普段はここまで早くは起きません。休日になるとなぜか早く起きてしまう、という悲しい習性。しかも、やることがないというのが大きく共通しております。一体何なのでしょう。

「早起きは三文の得」とはよく言ったものですが、やることのない人にとってこれ程無駄なものはありません。強いていうならば、普段絶対見ないようなおじいちゃんおばあちゃん用の健康番組が見られるぐらいでしょうか。

また、いつもは生活の時間帯が違うため、ほとんど顔を合わすことのない大人の男二人が朝っぱらから顔を合わすのも何かちょっと恥ずかしいものです。というわけで、PCへと体を向けるしかないのです。

・・・。そんなこんなでもうすぐGWも終盤です。今日も僕は大好きなお勉強です。(泣)それではみなさん、良い週末を・・・。


2002年5月7日(火)

サラブレッド

最近、相方に指摘されて気付いたこと

前髪に力がない。

そう言われてみるとそんな気がして、そう思うと余計にそう見えてくるから不思議である。



    曽祖父(かなりのハゲ)
     |
祖母−−−祖父    祖母−−−祖父(つるっぱげ)
   |          |
   父(少しきてる)−−−母(髪薄い)
            |
            俺(前髪力なし)



サラブレッドじゃん、俺!

しかもかなり濃いインブリードである。井川遥にお世話になる日も近い・・・か。


2002年5月8日(水)

外国人と友達になる方法

「国際社会を生き抜いていく上で、もはや異文化交流は避けては通れない。」

BY森本レオ

って、あんたはただ若いねーちゃんと遊びたいだけだろうが!というツッコミを入れたいところだが、今日は外国人と仲良くなる方法について書きたいと思います。

外国人の文化を知るには、外国人の友達を作ることが最も手早い方法であろう。まあ、日本にもたくさんの外国人がすでに来ているわけで、そこで友達になるということも考えられなくもない。しかし、多くの日本人はそういう機会があっても、なかなか外国人に話しかけることができないであろう。

そういった小心者(僕を含めて)にとって有効な手段なのが、そう、インターネットである。ネット接続さえ出来れば、世界中の人とすぐにお友達。「ハーイ、ジョン!元気かい?」の世界である。

かくいう僕も今、数人の外国人女性とメールをしている。別に、僕の方から声をかけたわけではない。彼女達から毎日のようにメールが送られてくるのだ。いやー、もてる男はつらいね。今日は彼女達から送られてくるラヴ・メールの中から一通だけ紹介しよう。

My name is Jennifer, and my friends are Stephanie and Sara!

ええーなになに?私はジェニファーよ。そして、友達のサラとステファニー。うんうん、いいじゃない。

We all three host intmate parties and have fun every night and day!

よく分からんが、毎晩3人でパーティーを開いているのか。

We are always looking for new friends that like to party.

私たち、パーティーが好きな友だちを探してるのって?いいじゃない、行きましょう。

We all have webcams and show off either individaully or,if the party is hot, we all get together and have FUN, if you know what i mean!

私たち、みんなウェブカムを持ってて、個人的に見せてるの。もし、パーティーが熱いものだったら、私たちみんなで楽しめるわ。もしあなたが私が意味することが分かればね!

っておい!エロサイトの勧誘じゃねーか!

こんなメールが一日に何件も入ってくるのである。全くいい加減にしてほしい。そんなとこで異文化交流してどうするんだっつうの!


2002年5月9日(木)

刹那主義

お気付きの方も多いことと思われますが、僕はネクラ人間です。(笑)というわけで、今日の日記は結構ディープですよ。

僕の性格上、一度ドップリ浸かってしまうと、とことんまで沈んでいってしまうわけですよ。極端な話、飯を食うことにすら意味を求めてしまうわけですね。(まあこれは本当に極端な話ですが・・・。)これは、僕だけかなーと思っていたのですが、どうもそうではないらしいです。相方と話していて気付いたのですが、男はどうもいろいろなことに意味を求める傾向にあるらしい、ということが分かってきました。

例えば、「なんで勉強するのか?」、「なんで就職するのか?」、究極的には「なんで生きているのか?」という深いところまで、男は意味を求めてしまうようです。みなさんはどうですか?

そういったことは、人生のうちで一度は考える必要があると思うのですが、実はそんなに意味のあることではないような気もします。なぜなら、生きる意味を考えたとしても結局その答えは見つからないのだし、見つからなかったとしても生きていかなければなりません。

だったら、今を生きることの方がむしろ大事で、答えの出ないことを考えるということは、はっきり言って無駄な作業です。だから、「明日、カツどん食べたい。」とか、「ブランドの洋服がいっぱい欲しい。」とか、「いい女とやりたい。」とかいった現実的な欲求の方が、前に進むにはよっぽど価値があります。

とこう書いていても、ネクラな僕は生きる意味などという途方もないことを考えてしまうわけで・・・。

「明日カツどん食べたい。」というような単純な目的だけで、生きることができたら楽なのにな、と思ったりしました。


2002年5月10日(金)

青春

青春

それはほろ苦くもあり

ちょっぴり恥ずかしくって

甘酸っぱいもの

今日学校から帰ってくる時に、若者が駅の構内にたまっているわけですよ。それで、若者達はみんな、思い思いのことをやっているわけです。

ラジカセ持ってきてダンスを踊る者。ギターを弾いてゆずの振りをする者。何をするわけでもなくただ座っている髪が金色の人たち。(怖くてあんまり見れませんが・・・)みんなそれぞれの思いを持って、駅に集まってきているのです。

ああ、青春だなー。

思い起こせば数年前、僕にも確かにありました。そんな時代。

STが終わるか終わらないかぐらいに教室を出て速攻で家に帰った日々・・・。

学校にキャッチボールだけをしにいっていた日々・・・。

友人のA川と「爆弾作ろーぜ」と語り合って帰った帰り道・・・。

全てが懐かしい。


んなわけねーーー!思い出したくもない!あんな灰色の時代。

ま、それを思うと、今はかなり「人間らしい生活」をしてるなと思いました。

ほろ苦いどころか、発酵していて、食べたら絶対に死ぬような匂いを放つそんな青春。送った人いますか?(泣)

青春を謳歌せよ、若者よ!


2002年5月11日(土)

日記サイト

最近、日記サイト増えてますね。いやホント。かく言う自分もこうして日記を書いてるわけで、ああだこうだいうのは何なんですけど・・・。

それにしても、インターネットってのは本当にライフスタイルを変えてしまったな、と思いますね。情報も数秒で検索できますし、いわゆるEコマースってやつですか、中でもCtoC形態のビジネスなんてインターネットがなければ考えられないものですからね。インターネットはこれからもどんどん僕達の生活に入り込んでくるでしょうね。

それで、日記サイトの話に戻りたいのですが、日記サイトもいってみれば1つのメディアとして成立するのではないかと思うんです。大手のサイトになんかになると1日10万ヒットとかになるわけで(有名どころでいうと「侍魂」とか)、下手な民放TV局より視聴してる人がいるわけです。

一個人が100万人の人に影響を与えることができるなんて、これは本当にすごいことですよ。しかも、ごく個人的な日記でですよ。これはインターネットが無ければ、まず不可能なことでしょう。

また、最近知ったんですけど、インターネットラジオで情報発信しているサイトもあるみたいです。もうこれは完璧にメディアですね。いつしか個人サイトが民放を駆逐する世の中になるかもしれません。

とこう書いているわけですが、僕が日記を書く動機といえば、はっきりいってマスターベーションなんで自分へ向けたものが多いです。まあ、僕の場合はごくごく内輪で公開しているだけなんで、これ以上ヒット数が伸びるということは考えられないので、上に書いたことは起こりようが無いのですが。

だから、「またこいつ自己昇華してるよ。」ぐらいの気持ちで見てもらえると、こちらとしては楽です。


2002年5月12日(日)

メディア規制法

昨日に引き続いて、今日もちょっと真面目なお話。って言ってもキッカケは単純なものなんですけどね。

いわゆるメディア規制3法ってのが今世間で話題ですよね。ある人に言わせると「悪の枢軸法」と呼ぶほどのもんなんですけど、一体それが成立するとどんな弊害があるのかなとふと考えてみました。

その3法の中でも問題ありそうだなってのが、「青少年有害社会環境対策基本法案」ての長いものなんですけど、要は、お上が問題ありと判断したテレビ番組とかゲームを規制できるってものです。「なんだ、有害なものなら見せないほうがいいじゃないか!」って言う人もいると思います。ところがですね、それがそう簡単にいかないものなんです。

例えばですね。僕は格闘技を見ることが好きなんですけど、もし、時の偉ーーーい人が格闘技を「暴力的なものだから見ちゃいかん!」と規制してしまったら、明日から僕はK−1もプライドも見られなくなっちゃうんですよ。これはどう考えてもおかしいじゃないですか。

ちょっと前に「バトルロワイヤル」って映画もR指定を受けてましたよね。あれもいわゆるメディア規制の1つですよね。「暴力的な表現」が青少年の暴力事件のきっかけとなるというのが理由らしいんですけど、はたして本当にそうなんでしょうかね。映画を見てないんでなんとも言えないんですが(笑)、あの映画を見て同じように殺人ゲームをしたいと思った人が何人いたでしょうか。おそらく、皆無に近いと思います。

問題はですね。「暴力的シーン」→「青少年の暴力事件」ではなくて、その矢印の間に、何が良くて悪いのかを考えるかってことだと思うんですよ。だから、暴力がなぜ悪いかってことを考えないから青少年犯罪は凶悪化していくわけで、「暴力シーン」だけを排除したとしても結果は変わらないと思います。

格闘技にしてもちゃんとしたルールがあって殴り合ってるわけですから、全然悪くないんですよ。むしろ、体を鍛えてトップになろうとする姿は美しくさえ見えますよね。同じように現実社会で突然殴りかかられたらそれは立派な犯罪ですけど、ルールの中でやってるのだったら正当なものですよね。だから、ただただ規制して「これは悪いからだめ!」ということは、ルールを教え込まないことと一緒で余計に悪い気がします。

今の青少年もルールを理解できないほどアホではないと思うので、規制をする前に「なぜ悪いのか」を考える機会を作る、「現実社会でのルール」を教え込むことによって解決できる問題なんじゃないかな、と僕は思います。

無菌室で育てられていきなり病原菌にさらされるより、外界で抵抗力をつけて育った方が、立派な体になるのと同じです。


2002年5月13日(月)

めぐり合わせ

僕は妄想が趣味なんですけど、いや、決していやらしいもんではなくって、「もしあの時ああだったら・・・」とか考えるのが好きなんです。

仮にですね。もし僕の背があと10センチ高くて、顔がキムタクみたいだったら絶対に人生変わっているわけですよ。それこそ灰色の高校時代を送ることはなかったでしょうし、現在の状況もそれは凄まじいほど変わっていたかもしれません。

例えばですね。

千昌男のホクロがもう5ミリ小さくて、おでこではなく鼻の下についていたとします。そうしたら「北国の春」はあれほど売れなかったかもしれません。

例えばですね。

「ダウンタウン」の芸名が、もし「てるお・はるお」のままだったとしたら、現在のように爆発的にヒットすることなく、場末の芸人で終わっていたかもしれません。

つまりですね。「クレオパトラの鼻があと3センチ低かったら歴史は変わっていた」という有名な言葉があるように、歴史というのはすべてが偶然で作り上げられているものなんです。

そう考えると、現在の自分ってのはすごい偶然が重なり合って存在しているわけで、もし今まで送ってきた人生の中のどこかで違った道を選んでいたら、それがほんの1センチのずれだったとしても、今の自分とは微妙にずれていただろうなと考えたりするわけです。

ちょっと疲れているなと思ったときに、いろいろな可能性について妄想してみるのもなかなか楽しいものです。前には進めませんが。(笑)


2002年5月14日(火)

携帯電話

今やほとんどの人が持っているといわれている携帯電話であるが、生活するに当たってもはや必需品といってもいいだろう。

携帯電話が普及するつい数年ほど前までは、待ち合わせなどをする場合、場所と時間を正確に決めておかなければならなかった。例えば、「名古屋駅の大名古屋ビルヂング側のサーブの前に1時ね。」などのように事細かに待ち合わせ場所を設定しておかなければ、会うことすらできなかったのである。

それが今では

「名駅3時」

たった4文字メールを打つことで友人と待ち合わせることが可能である。なぜなら、待ち合わせの時間までに事細かに場所を決定することも携帯電話により可能であるし、携帯で話しながら相手を探すこともできる。

さらには、「だいたい3時ぐらい」のようなアバウトな待ち合わせも可能である。(僕はよく使う。)仮に、待ち合わせ時間に遅れたとしても、携帯で連絡がつくという頭があるからだ。もし携帯がなければ、連絡が付かずに延々と2時間も待つということも多分にありえるである。

そう考えると、やはり携帯電話というのはとても便利なものである。しかしである。その時代の利器にも重大な欠点があった。そう、電池切れである。はっきり言おう。

電池の切れた携帯ほど無駄なものはない。

ご存知の方は多いと思うが、僕は田舎暮らしである。したがって、通学に使っている電車の本数は恐ろしく少ない。(1時間に2本・・・。)そのため、最寄の駅まで迎えを頼むことが多いのだが、「携帯」という切り札を持っているという安心感から、最近ではなかなか焦りを感じないのだ。

今日も電車の乗り継ぎがうまく行きそうになかったので、自宅に迎えを頼むために電話をしようとしたのだが、その時!

・・・画面まっくろじゃん。

画面真っ暗
  ↓
お先真っ暗
  ↓
  死

ってそんなことはないが、切り札に安心しきっていただけにこの落胆は大きかった。しかも、携帯の電源がつかないということは中に入っているメモリーも見れない。(泣)さらには、自宅の電話は公衆電話からはかけられないように設定されているため、もはや打つ手なし。

「携帯電話よ、お前に自家発電機能はないのかい?」

そう呟いても、画面は怪しく黒く光るだけだった・・・。


2002年5月15日(水)

やっぱり♀が好き

今回はかなり内容がないので、見たくない人は飛ばした方がいいかもしれません。

先週のフライデー見た人います?僕が注目した記事ってのは、そうそう、アイドルのグラビアが・・・。ってちがーーーう。

ま、あまり変わらないですけど。僕が気になったのは、米のアカデミー女優J・フォスターの記事です。なんでもその記事によると、彼女はどうも同性愛の嗜好があるらしく、その彼女の恋人との2ショット写真も掲載されてました。つい何年か前に、彼女は「試験管ベビー」を体外受精したことで話題になりましたが、ああーそういうことだったのか、とこの記事でようやく納得できたのでした。

別に、同性愛についてどうこういうつもりはありません。むしろ、人類には男と女の2種類しかいないのだから、中にはそういう選択肢を選ぶ人もいて当たり前かなとさえ思います。

と寛容なことを言ったところで、ふと考えてみました。自分の場合だったらどうなるだろうか。

ムキムキの野郎とハグ・・・。

この時点で僕の思考は止まりました。このプログラムは不正な処理をしたので強制的に終了します。シャットダウンです。

・・・無理。普通に無理。

やっぱり僕は女の子が好きです。ムキムキの野郎より、ムチムチの女の子です。あっ、うまくオチたな。(オチてねーよ!)まあ、余計な想像はしないほうが身のためだと悟りました。


2002年5月16日(木)

コトバ

今日はいきなり問題からです。

Q1、「女郎花」これ何と読む?
A1、「おみなえし」です。

Q2、「ようよう」とはどんな意味?
A2、「だんだん」という意味です。

Q3、「勝って締める」のは何?
A3、「兜の緒」です。

できなかった人、国語力がありません。

ということが言いたいのではありません。では、何が言いたいのかというと、普段使わないような言葉は知らなくて当たり前、ということです、むしろ、知っている方がおかしいです。

「女郎花」なんて、普段の会話では絶対に出てこないコトバですし、「ようよう」なんて言葉に至っては古語です。つまり、言葉というのは使われなければどんどん淘汰されゆくものなんです。

現代は、情報があふれかえっていて生まれゆく言葉の数も膨大なものです。しかしながら、生まれる数も膨大なものなら消える数も膨大なものです。そういえば数年前、僕は絶対に使わなさそうなコギャル言葉というものがありましたが、あれもいつのまにかどこかへ行ってしまいましたね。需要がなければ消えてゆく、それが自然の流れなのでしょうね。

なのになぜ僕は古文をやっているのでしょうか。(泣)

だいだいですね。古文なんてのは1000年も前の人の話し言葉であって、僕達からしたら凄まじいほど流行おくれな話なわけですよ。

「ナウなヤングにバカうけ!」

「じゃあ、そろそろドロンするわ。」

「そのオニューの服、イカすー!」

ぐらい恥ずかしい言葉のオンパレードが並んでいる状態ですよ。だいたい使われないから話し言葉として残っていかないわけで、今になって一生懸命やる意味がわからん。

はぁー。書いてスッキリした。・・・やりますよ古文。(疲)


2002年5月17日(金)

我輩は猫である

ウチにはウメタという猫がいるが、彼はまさに「吾輩は猫である。」という感じの猫である。猫のくせに我が物顔で家を闊歩する。「吾輩は猫である」は、かの有名な夏目漱石の作品であるが、彼は実に巧妙なネーミングをしたものだなと思う。

猫を飼っている人ならご存知だと思うのだが、猫という生き物は自分の思うままに行動する生き物である。自分のえさが欲しい時にしか絶対寄ってこないし、自分がこの席に座りたいと思ったら誰が座っていようともお構いなしに無理やりに座ってくる。そう、猫はエゴイズムの象徴なのである。常に自分中心に世界は回っているのだ。

対して、犬はどうであろうか。犬という生物は順位付けのできる生き物である。常に自分の順位を把握し、群れの秩序中心に行動する生き物なのだ。だから、主人には絶対服従であるし、たとえ「自分がこうしたい」と思っても我慢ができるのである。

両者はペットの代表格であるが、はたしてどちらが好まれるだろうか。

個人的な意見を言わせてもらうと、僕は断然「犬派」である。(なぜか猫を飼っているが・・・。)それは、やはり犬の従順なところが好きだからである。もっと言うと、征服欲とでもいうのだろうか。猫のように「我関せず」みたいな態度をとられると、無性に腹が立ってしょうがない。

逆に、猫が好きという人は自分も猫のような性格なのではなかろうか。だから、お互いにある程度の距離が置けて、自分の好きな時にだけ相手を求めることができる、ということで猫の方が性格が合うのだ。そういう性格の人にとって、猫ほど都合のいいものはないのである。

うーむ、奥が深い。猫と犬でこれ程語れるとは、書いていて自分で関心してしまった。ちなみにウサギ好きの人は「甘えん坊」です。構ってあげないと、寂しくて死んでしまいます。・・・僕も。(ぽっ)


2002年5月18日(土)

自由

「自由」ってのもなかなか「不自由」なものだ。

今の時代、選択肢もありとあらゆるものがある。その中から何をするのも自由だし、可能性は無限大だ。

でも、そこでふと考えてみた。逆に選択肢が多い分、かえって身動きが取れなくなるのではなかろうか。

昔の人は選択肢すらない。生まれた家によって職業、結婚、いわば一生が決まってしまう。それはそれで不幸なことではあるが、「自分がどうあるべきか。」について悩むことはあまりなかったことだろう。

現代のように選択肢が多すぎると、「自分は一体何がやりたいのか。」、「自分は何者なのか。」ということをはっきりと自覚することは余計に難しくなる。

それゆえに選択肢が多いにも関わらず、保守的な選択肢を選択することが多くなってしまう。結局「自由」であるようにみえて「不自由」だ。

もちろんそうでない人もたくさんいる。そういう人たちは自分に自信がある人だ。だから、「これだ!」と決めて、その道を突き進める人は本当にうらやましい。

自分にもその確固たるものが欲しい。それが、本当の意味での「自由」だ。


2002年5月19日(日)

何でだろう

何でだろう。

白髪の外人を見ると

クリントンかテリーマンと思ってしまうのは

何でだろう。

短髪のおばちゃんがパーマをかけると

性別が分からなくなるのは

何でだろう。

夕日がこんなに眩しいのは

・・・何でだろう。


2002年5月20日(月)

フランス人

今、日本で最も有名なフランス人といえば、日産のGM、カルロス”コストカッター”ゴーンと、サッカー日本代表監督、フィリップ”クレイジー”トルシエ、だろう。この今最も日本で有名な2人のフランス人だが、彼らが日本人を戸惑わせているのだ。

前者は言うまでもなく、崖っぷちまで追い込まれていた日産をわずか数年で黒字に転換させた、という神業をやってのけたいわば経営のプロである。そのやり方といえば大規模工場の閉鎖に始まる大リストラ計画によるところが大きい。まさにコスト・カッターの異名通りである。はたして、このやり方が正しいのかどうかは定かではないが、日産という会社が救われたことは紛れも無い事実だ。

これまでの日本の「終身雇用制度」、「大企業絶対安全神話」というものが、1人のフランス人によってあっという間に崩されてしまったわけであるが、それに対して日本人には戸惑いが大きい。もっとも、この流れはすでに他の日本の企業でも始まっていることなのだが、リストラによって実際に成功を収めたカルロス・ゴーン氏の功績は大きいものだといってよいだろう。

後者はあえて”クレイジー”と書かせてもらったが、今日本で最も批判を受けているフランス人といっていいだろう。日ごろから彼の言動には?マークがつくことが多いが、今回のサッカー日本代表選考は、日本人の感覚からしたらクレイジーとしか思えないところが多い。

1つ目は、ゴン中山と秋田の選考である。彼らは、昨年から代表メンバーを外れていて突然の選出である。うーん、分からん。大舞台にべテランが必要、という意見は同感だが、なぜギリギリまで外していた選手を突然選ぶのか、ということである。だったら、ギリギリまで試合に出て、選出を信じていた他の選手の気持ちははどうなるのか

2つ目は、中村俊輔についてである。中村は日本を代表するファンタジスタとして有名なわけであるが、どうもプレイスタイルがトルシエと合わないらしい。そういうわけで、彼が当落線上にいることは選出前から分かっていた。しかし、彼は選考直前の試合で結果を残し、しかも、そのことをトルシエもコメントなどで評価していたのである。
ところが、いざふたを開けてみると、彼の名前は日本代表のメンバーの中にはなかった。

僕は、中村が選ばれなかったことに疑問があるのではない。中村のポジションは主要なメンバーがひしめく激戦区で、選ばれなかったのは戦術上仕方のないことかもしれない。問題は「どうしてギリギリまで期待を持たせておいて、奈落の底に落とすようなことをするのか」ということである。日本人の感覚からしたら全然わからない行為であり、言ってみれば「蛇の生殺し」みたいなものだ。

日本人の精神といえば「サムライ」の心があると思うのだが、フランス人には分からない感覚なのかもしれない。例えば、剣道には「残心」という教えがあるのだが、それには日本人の精神というものが如実に表されている気がする。「心を残す」すなわち

「斬った後にも決して喜ぶことなく、斬った相手を思いやる心を持て」

ということである。勝者は、勝っても敗者にもなお情けをかける。これが日本人のいいところではなかろうか。

そう考えると、トルシエはもっと早くメンバーを固定するべきだった、と僕は思う。そうでないのであらば、期待を持たせるようなコメントは控えるべきだったと思う。選考するつもりが無いのであれば、敗者となるべく中村に情けをかけるべきであったのだ。仮に、情けをかけないのがフランス流だとしたら、僕はフランス人の感覚を少し疑ってしまう。

奇しくも2人のフランス人によって、日本人は戸惑いを感じさせられているのだが、この2人のフランス人によって日本は今後どのような変化をみせるのだろうか。Wカップも含めて楽しみである。


2002年5月23日(木)

ティッシュ配り

駅前などを歩くと、必ずといっていいほどティッシュ配りのバイトの人がいますよね。僕は以前にその類のバイトをした経験から、その大変さが分かっているので、よっぽど面倒でない限りティッシュを貰ってあげる事にしています。

まあ、ティッシュならまだいいですよね。だって、まだ使い道があるじゃないですか。でも、怪しげなアルバイト誌とかあるじゃないですか。かさ張る上に、紹介している内容がどう考えても僕ができるものじゃないんですよ。

1ページ目から5ページ目ぐらいまで全部、「カウンターレディー時給2000円〜」って、どうやったって男の僕がすることは無理ですし、第一そんな怪しげなバイト、僕が女でもするかっちゅうの!まあ、でもバイト君がかわいそうなんで一応は貰ってあげるんですけど・・・。

僕がかつてバイトしたのは、いわゆるヘルスと呼ばれる類の風俗店のチラシなんですけど、これがなかなか貰ってくれないんですよ。だからですね、なるべく数を早く減らすためにいろいろテクニックがあるわけですよ。

@「2枚重ね配り」作戦

その名のとおり2枚重ねて配ります。ただ風俗店の経営者はちょっと怖い系の人が多いので、ばれないように細心の注意が必要です。

A「自転車通り過ぎる瞬間カゴ放りこみ」作戦

これには、かなりの熟練テクニックが必要です。「僕はあなたに関心ないよ。」と装いつつ、通り過ぎる瞬間にサッと割引チケットをカゴに投げ込む。乗っている人に有無を言わせるスキを与えてはいけません。

B「レストラン割引チケット風」作戦

簡単です。風俗店の名前の部分を指で隠します。「3000円割引」とか書いてあるので、一見、飲食店の割引券に思えます。あくまで、渡す時はさわやかに。風俗店のチケットとは微塵も思わせてはいけません。

と、テクニックを駆使してもなかなか貰ってくれるものではなく、ティッシュ配りのバイトは大変なのです。そういうわけで、今日も帰りにビラを配っているお姉さんがいたのでビラを貰ってあげることにしました。

お姉さん「おねがいしまーす。」(もちろん笑顔で)
僕「はい。」

「汚れから、熟女まで何でもします。貴方のことを待ってます・・・。」

なっ!ってお姉さん、アナタどこに勤めてんの!しかも、笑顔で配るところが僕の作戦と同じだし!

不用意にビラを貰うのもいかがなものかと思ってしまいました。


2002年5月25日(土)

ネット中毒?

♪単調な生活を繰り返すだけ〜

最近、生身の人間が恋しいひびのです。こんにちは。

「ネット中毒」なんて言葉がありますが、実は僕もそうなんじゃないかなあなんて最近思います。だって、特に用も無いのにとりあえずネットは絶対しますからね。巡回するところも大体決まっていて、とりあえずエロサイ・・・おっと。今日のニュースをチェックしてですね。まあ、ネットはほぼ習慣みたいになってきてしまいました。あと、2ちゃんもたまに見ますね。筑紫哲也曰く、「2ちゃんは便所の落書き」だそうですが、見る分には暇つぶしに丁度いいですね。

ただ、ですね。やっぱり利用者の使い方次第によっては、例のバスジャック事件のように、匿名掲示板も問題ありかなと思いますね。

つい先日起こった「猫の虐待ネット生中継」事件。あれ、2ちゃんだったんですね。実際に猫を殺して、その様子を画像と掲示板で実況してたみたいなんですけど、普通じゃ考えられない事件ですよね。何でそういうことができてしまうのか、本当に理解に苦しみます。何でも「有名になりたかった」というのが動機らしいのですが、有名になる方法が間違っていますよね。これも、匿名掲示板のなせる業でしょうか。

しかし、その事件はたまたま2ちゃんで起きたわけですが、インターネットを使う以上他の場面でも起こりうることですよね。だから、ネットを利用する側もそれなりの技量が必要になりますよね。ネットはバーチャルな世界の話ですし、ネットというのは道具であり、目的ではありません。このような単純なことが理解できなければ、今度のような事件は次からも起こりうることだと思います。

したがって、「便所の落書き」を単なる「便所の落書き」として認識して、それを笑い飛ばせる人は大丈夫ですが、ネットが「現実世界の全て」ようになってしまうような人にはインターネットは本当に危険なものになってしまうものだ、と今回の事件で感じました。

僕も気をつけたいと思います。


2002年5月26日(日)

血の気が引く瞬間

人間だれしも失敗をすることがあると思うんですけど、その失敗を生かすかどうかで人間の価値って決まるもんだと思うんですよ。そう考えると、僕ってつくづく懲りない人間だなあと思います。

以前の日記で書いたと思うんですけど、ホント僕ってうっかり者なんですよ。失敗した時は「はっ!!」と思うんですけど、その失敗が見事に生かされない。(笑)今日は、そんな「はっ!!」として、思わず顔から血の気が引いた瞬間の話をしたいと思います。

@就職活動にて

思い起こせば2年前、僕も就職活動ってものをやってました。やれ東京だ、大阪だと、自分で言うのもなんですけど結構ハードに飛び回ってたと思います。丁度その時は、大阪のある企業を受けに行った時のことです。当然のことながら気合が入っていたので、準備万端・・・のはずです。

「よっしゃ!カンペ持った、切符持った、受験票・・・。」

「持ってない(泣)。」

サアッーーーと引いていく血の気。実はそれに気づいた時、すでにもう我がシティーから遠く離れた名古屋駅まで来ていたりしたわけで・・・。慌てて姉に電話をかけて、受験票を届けてもらったことは言うまでもないです。

Aつい最近

これはあまりに恥ずかしくて家族にも言ってないことですが、本当に最近、模試の試験会場、間違えました。いやー、これは焦りました。だって、会場に行ったら

「ポッツーーーン。」

人、ぜーんぜん、いないんですもん。

サアッーーー。(血の気が引く音)正直、ドッキリかと思いましたよ。だって、誰もいない模試なんてありえないじゃないですか。単に、僕が間違えただけなんですけど(笑)

「これは夢だ、何かの間違いだ!(自分のな)」

と、うろたえましたよ。結局、その会場に間違えて来てた人が他に7人程いて、その人達とそこで模試受けてきました。(笑)

B若気の至り

男子ならだれしも覚えがあることと思うんですけど、Hな本とか持ってるじゃないですか。それを何かの拍子に隠し忘れることってありますよね。それで、学校に着くと気づくわけですよ。

「やっべー。エロ本出しっぱだよ!」

それで、そういう日に限って母親が部屋を掃除してくれたりするわけですよ。

「ああー、頼むから掃除しないでくれ!」

心の底から叫びましたよ。その日は、授業も、部活も、すべて上の空・・・。ただただ、エロ本がそのまま放置してあることを祈って一日を過ごすわけです。そして、家に帰ると・・・

きれいにエロ本、揃えられて置いてありました。

サアッーーー。終わった・・・。俺の人生、終わった。

「母親よ、本を整頓する優しさがあるなら、放っておく優しさもあるんじゃないのか。」

この時は本当に血の気が引きました。

・・・。これだけ失敗を繰り返しても、なお失敗を繰り返す僕って一体・・・。とりあえず、明日は模試の会場間違わないように行こうっと。


2002年5月27日(月)

コンパ

みなさーん、コンパしてますかー?

出だしから訳の分からん始まりですが、今日はコンパについて語りましょう。

コンパ・・・Company[ラテン]Compania(パンを分け合う仲間) 。カンパニー、すなわち会社のこと。金が無い時に出資を募るカンパも全く同じ意。「集まって、金出し合って、騒ぐから。」ということで、現在のような意味になったらしい。

僕らがコンパといったら、「一人身の男女が相方を求める飲み会」というのが一般的な認識だろう。僕は、かれこれ4年程コンパに行っていないのだが(いや別に行きたいと言っているわけではないですよ、いやマジで。)、あれは、はっきり言って「時間と金の大幅な無駄使い」と言える。

というのも、自分の友人でコンパで知り合った娘と付き合ってるという奴に未だかつて出会ったことがないし、コンパで知り合った娘と再び会うのが気まずくなることはあるにしても仲良くなった試しなど一度もないからである。

「じゃあ、なぜお前はコンパに行ったんだ?」

そう言われると、やっぱりほのかに期待なんかもしてたりするわけで・・・。いや、あれは若気の至りだ!あんなもの面白くもなんとも無い!行く奴はバカだ!

とにかく、僕はコンパというものにいい思い出がないのである。それでも、まだコンパに行きたいという強者がいれば、今日は僕の飛びっきりの話をしよう。あれは確か、大学2年の春・・・まだまだ僕も若かった。

友人T「ひびさーん、今度英文のコンパあるんだけど来る?」
僕「(ピクッ)えっ?英文?行く!行く!」

それが全ての悲劇の始まりだった。

当日、集まった悲劇のヒーローたち(いや生贄か)は5人。みんな英文というネームバリューに惹かれて来たに違いないのだ。まあ、僕もその中の1人だが。(加筆:ウチの大学の英文科のことである。何となく英文科という響きから、かわいい子がいそうな感じしません?)

T「あ、来た来た。」

僕は目を疑った・・・あの集団か?おかしい、これはおかしい。これは、僕の目が悪いからに違いない。しかし、集団が近寄ってくるにつれ、それはもっと鮮明に見えてきて、今度は自分の目の良さを恨む結果となった。ひどい・・・とにかく酷いのだ。大体5人もメンツがいれば、1人はかわいい娘がいるものだが

見事に全滅。

いってみれば、逆ロイヤルストレートフラッシュ状態。これにかなうものは、いない。

悲劇のヒーロー達は映画始まる前に既にみんな死亡である。「帰るか。」という意見も出たが、幹事の顔を立てるためにもそれはできず、仕方なく飲み会の会場へ・・・。

一同、席に着いたが、当然盛り上がるはずもなく、男どもは最初から「帰りたいビーム」出しまくりで、店が地下だったので、地下でも携帯の電波が入るようにとアンテナを全開にしている。ここまで盛り上がらんコンパも初めてだ。

T「じゃあ席はどうする?交互になろっか。」
僕「(いや、余計な提案しなくていいって、今日は楽しく飲む会って決めたんだから。)」
一同「じゃあ、適当でいいよね。」
僕「(おいおい勝手に決めんなよ。)」

こういう時に割を食う奴は、大概決まっている。

・・・自分である。

僕の席は壁際。隣の女の子はふくよか、いやヘビー級の女。壁際に追いやられて、サイドはヘビー級。に、逃げられん。

これは罰ゲームか!

それからは地獄の2時間。延々と続くKO必至のタイトルマッチ。ヘビー級とマンツーマンの夢の世界だ。途中、友人に「席替えをしようぜ。」と合図を送るも無視され、もはや打つ手なし。

「・・・おっさん、終わったよ。燃え尽きて灰になったよ。」

あしたのジョーの気持ちが、本当によく分かった気分だった。

最初はヘビー級に話を合わせていたが、最後にはめんどくさくなって、ただただ、酒を飲んで元を取ることしか考えていなかった。もう飲むわ、飲むわの大騒ぎで、飲んで、食って、トークなんて二の次、というとんでもないコンパだった。

後にも先にも、これよりひどいコンパは経験していないが、他のコンパでもいい思いをしたことは、本当にない。

これでもまだコンパに行きたいという奴、「歯ー食いしばれっー!」。


2002年5月28日(火)

髪を切る

最近の涼しさが嘘のようにここ2、3日で急に暑くなってきた。デブには過ごしにくい季節である。そういうわけで床屋で髪を切ってきた。

髪型にも流行り、廃りがあるわけで、僕らが中学生だった7・8年前は髪を真ん中で分ける「センター分け」またの名を「H分け」と呼ばれる髪型をなぜかみんなしていたものである。

高校時代にになると偽キムタクが多数登場しだし、やたらめったらロン毛野郎が世にあふれていた。(ウゼー。)ここで大きな勘違いがある。キムタクはたとえバカ殿のヅラをかぶっていたとしてもカッコイイのだ。つまり、素材がよければ何でもあり、素材が悪けりゃ何やってもダメということである。

そして現在といえば、これ!という流行というのが存在しないほど、いろいろな髪型をみんなしていると思うのだが、強いて言えば「坊主」だろうか。窪塚洋介をはじめ松本人志など有名人が坊主なのが多いせいか、巷のでも坊主頭をする人が多くなってきた。これは、数年前では考えられない状況である。

だって、坊主といったらダサいの象徴で、「野球部は坊主だから」という理由だけでサッカー部に入る奴もいたぐらいである。それが、今ではおしゃれのために進んで坊主になるという状況だ。時代も変われば感性も変わるものである。

しかし、いくら流行っているからといて、坊主にする際には注意が必要である。ロン毛にするとキムタクになれると勘違いするのと同じように、坊主にする際にも注意が必要なのだ。

@顔が怖い人

その筋の人になってしまう。

A顔が童顔

えなりかずきである。

B高校生

高校球児のまんま。君、おしゃれに見えてないよ。

C太っていてメガネ
 
小林亜星の真似はできる。

以上に該当する場合、坊主にすることはお勧めできない。

−−−−−−−−−−

それで、僕はどんな髪型にしたのかということだが、と何と表現したらいいのだろうか?所詮行くところは床屋なんであれこれ指定しても思い通りは絶対に行かないわけである。強いて言えば「坊主の伸びかけ」だろうか。

やっぱり中途半端だよ。


2002年5月29日(水)

井川遙

今、大ブレイク中のグラビアアイドル、井川遥。目下、癒し系タレントとして急上昇中であるが、その井川遥について友人Aから面白いことを聞いた。(※ちなみに彼のデスクトップは井川遥の壁紙である。)

現在、放送中のキムタクとさんまの主演で話題の月9ドラマ、「空から降る一億の星」に彼女も出演していた(5/27付けで死亡)わけだが、それにも裏話があるらしいのだ。Aの話によると、彼女は当初3回目ぐらいで死ぬ予定だったらしいのだが、井川遥が出ると視聴率が取れるということで、ズルズルと生かされ続けていたらしいのだ。(笑)

さらに面白いことに、無理やりに生かされ続けることを井川遥自身が快く思っていなかった、ということである。あのドラマに出演するキャストを見れば分かると思うが、演技のうまい役者が揃っている。キムタク、深津絵里、柴咲コウなど、そうそうたる顔ぶれである。それに比べると井川遥の演技は下手で、彼らと一緒に映ると「大根役者」ぶりが余計目立ってしまうわけである。

だから、井川自身は「早く殺してほしい。」と思っていたが、大人の事情で生かされ続けるという何とも面白い裏事情があったそうなのだ。下手に人気があるというのもつらいものである。

そういえば、大根役者で思い出したが、NHKの朝の連続テレビ小説「さくら」に出ているさくらの母親役の太田裕美、これもかなり酷い。電話で父親の危篤の知らせを聞き、泣き崩れるシーンがあったのだが、これが学芸会並みに酷い演技で間がなんとも悪い。

最近では、ドラマの筋より彼女の演技がいつ上達するのか、の方に興味が移ってしまっているぐらいである。演技ってのは難しいのだなーとつくづく思ってしまう。少しうがった見方だが、こうしてテレビを見るのもなかなか楽しいものである。

あっそうそう。5/27付けでようやく死ねた井川遥、心からお喜び申し上げます。(笑)


2002年5月30日(木)

運命

神様が本当にいるかどうかは知らないが、もしいるとしたら残酷である。

先日、40歳という若さで亡くなった伊藤俊人さんという俳優を知っているだろうか。名前だけではなかなかピンとこないと思うが、三谷幸喜の作品やショムニに出ていた眼鏡の俳優といえば、分かる人も多いことだろう。

別に、主役を張るような俳優ではなかったが、それこそ本当に「記憶に残る」インパクトのある俳優だった。三谷幸喜が追悼の言葉の中で、「50歳ぐらいで人生捨てたもんじゃないなと思わせる作品の主人公になれる男でした。」と述べていたが、まさにそんな感じの俳優で、これからという時の死は悔やまれてならない。

人が死ぬのは悲しいことである。だけど、いつかは必ず死を迎える。その時期が早いか遅いかは本人には分からない。だから、人はその時まで一生懸命生きるのだろうけど、時にそれはとても残酷な形で迎えることになる。

人の命の価値は平等であるが、一体どういう基準で寿命というものが決まるのだろうか。「憎まれ者、世にはばかる」という言葉があるが、「もっと先に逝くべき人がたくさんいるだろっ!」と言いたいくらいだ。

伊藤さんの代わりになる俳優は今後も出てくることはないだろうが、今は彼のご冥福を心からお祈りしたい。


2002年5月31日(金)

♪アイーン、アイーン、アイーン、アイーン、アイーン

ここまで歌詞にメッセージ性がないと、逆に清々しい気分だ。つんく♂さんよ、あなたはどこへ行く。

ポップソングなんて大量生産、大量廃棄が原則で、次々と新しい曲が作られてはまた消えていく。それはそれで仕方のないことである。しかしながら♪アイーンだけで金を稼ぐなんて、なんてアコギな商売だろうか。

僕が音楽を聴く際に重要視するのはその曲から得られる全体的なイメージであるが、やはり、そのイメージの中でも「歌詞」が占める割合は大きい。だから、あまりにも内容がない歌詞の歌だと聴く気が薄れてしまうのは確かなことである。

と、書いたところで、自分が結構いい加減な歌詞の歌を聴かされて育ってきたことに気づいた。「懐かしのメロディー」といった類の番組がたまにTVでやることがあると思うのだが、10年ぐらい前の歌なんてタイトルを見ただけで、思わずこちらが目を背けたくなるようなタイトルばかりである。

「なんとかかんとか ONLY YOU」

「なんとかかんとか ON MY MIND」


そこでなぜ横文字っ!みたいな。今では、歌詞に英語を乗せることが、いわば当然みたいになっているが、10年前の英語の使い方は明らかにおかしい。

さらには、歌詞自体に意味が分からないものも多かった。

光GENJI 「パラダイス銀河」

もうすでにに、グループ名からツッコミを入れたいところだが、ここは歌詞にツッコミを入れるとして

♪ようこそ、ここへ 遊ぼうよパラダイス

まあ、いいでしょう。

♪胸のリンゴーむいてー

はい、ストップ!一体なんですか、胸のリンゴって!まあ、百歩譲っていいとしましょう。

♪大人は見えない、しゃかりきコロンブス

ちょっと!しゃかりきコロンブスって誰ですか!当時、僕も子供でしたけど見れませんでしたよ!

いかに自分達がいいかげんな歌を聴かされて育ってきたのかがよく分かる。

ここで、またふと考えてみた。逆に、あまりにリアルな歌詞もいかかがなものかと。歌は時代を表すというが、本当にその通りである。僕らの親の青春時代の歌は、どれを聴いても暗い。例えば

さくらと一郎 「昭和枯れすすき」

タイトル見ただけで、まず買おうという気は起こらない。さらに、歌を聴くとなおさら買う気がうせる。

♪貧ーしさに負けたー

いやー、やめてー。

♪いいえ、世間に負けたー

死にたくなるわ、マジで。売る気あるのか、しかし。(笑)


井上陽水 「傘がない」

♪都会ではー


はいはい。

♪自殺するー

っておーい!暗すぎるよ、陽水!曲の出だしからそれかよ、アンタ!

というように、あまりに時代を反映しすぎると収拾の付かない状態になってしまう。まあ、そう考えると今の日本には♪アイーンがちょうどいいのかもしれない。


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