チベット日記


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2002年8月1日(木)

モーニング娘。

保田圭とゴマキがモー娘。を卒業するらしい。

別に僕はファンでもなんでもないのでこれといって感想は無いのだが、強いて言うならば、保田はブサイクということだろうか。いやいや、そんなことが言いたいのではない。

何かの記事で読んだのだが、モーニング娘。は経営学の視点からすると理想的な形態らしいのである。アイドルグループとしては今までになかった「卒業→新加入を繰り返す」という新しい手法は、グループ経営として実は非常に理にかなったものらしいのだ。

理由@組織の新陳代謝が激しい

モー娘。は卒業という形でメンバーが少なくなると、すぐに新メンバーが加入する。これにより組織内が常に新鮮に保たれ、マンネリを防ぐことができるらしい。モー娘。が内容の無いほとんど同じような歌を歌っているにも関わらず、かろうじて人気を保っているのは新陳代謝を活発にすることによって常に鮮度を保っているからということらしいのだ。なるほど、確かにそうかもしれない。

企業においてもそれは同じことだろう。同じポジションに長い間同じ人物が座れば、熟練はするだろうがその分新鮮味がなくなる。さらには、固定観念にとらわれて、斬新なアイデアが生まれにくくなる、といった弊害も考えられる。

例えば、大手スーパーダイエーを考えてみれば、それは分かるだろう。ダイエーが時代のニーズに付いていけずに体質改善がおくれたのも、中内オーナーのワンマン経営が原因だといわれているように、同じポジションに同じ人間が座り続けることは退化を意味するのだ。したがって、適度なところで組織の構成員を入れ替えているモー娘。は、進化し続けていることになる。

理由Aプロジェクト制を取っている

モー娘。は一年に一度、バラバラになる。モー娘。に他のつんく♂ファミリーを加え3つほどのグループに分けられるのである。(赤組何とかとかあったじゃん。よく知らん。)これを経営学でいうと、「プロジェクト制をとっている」ということになるらしい。

プロジェクト制の良いところは縦の関係が無いということだろうか。自分の所属している部署だとどうしても上司の意見を伺うことになるし、意見が凝り固まってしまう。逆に、プロジェクト制をとれば、身分に関係なく対等な関係で渡り合うことができるのだ。

だから、全然売れていないココナッツ娘。もモー娘。もプロジェクトの中では同格であり(抱き合わせ商法という話もあるが・・・)、同じようにステージに立てるのだ。部署にこだわることなく優秀な人材を集め、1つのプロジェクトが終わるとまた解散する。適材適所という意味ではプロジェクト制は理想的なのである。

なるほどね。やるじゃん、モー娘。そこまでつんく♂が考えてモー娘。を作ったのかは定かではないが、確かにはまっているような気もする。日本の企業もモー娘。から学んで早く不況を脱して欲しいものだ。

・・・。それにしても保田はソロになって本当に大丈夫だろうか。モー娘。にいるからかろうじて生き残っているのに、ソロになって何を売りにするのだろうか。(やっぱブサイクか?)むしろ、卒業を促されても意地でも残るべきだと思うのだが。

どうでもいっか。


2002年8月4日(日)

HANA−BI

ドンッと打ち上がったら、あとは散るだけ。

散る前にわずかに輝きを残して、夜の闇に消えていく。

どこかもの悲しげなそんな花火が、僕は好きだ。


2002年8月10日(土)

就職活動

以前、日記にも書いたように僕は現在就職活動中です。まだ本格的に活動をはじめて1週間も経ってないわけですが、すでにやめたいです。「このくそ暑い中、やってられっかー!」と言うわけにもいかないので仕方なくやるわけですが、正直きついですね。

就職活動自体は2年前に1度やっているので、それほど問題にはしていないんですけど、2年間もひきこもっていると体の方がなまっていて、寧ろそちらの方がきついです。そういうわけで、老体にムチ打って、毎日がんばっている次第です。

就職活動はきついものですが、楽しい事もあります。活動を進めていくといろんな人に出会うわけで、それはそれで結構楽しいのです。最近、一番笑ったのは面接の直前に「面接の達人」を一生懸命読んでいた人です。はっきりいってあんなもの読んだら受かるものも落ちます。内容もさることながら、企業はオリジナリティを求めているのにマニュアルどおりの回答をされたのでは落とさざるを得ないでしょう。

その面達の彼とは集団面接で一緒だったのですが、案の定、直前に一生懸命覚えたらしいことを演説調で語ってくれました。どうも彼はものを思い出す時に上を向く癖があるらしく、ずっと上を向いて演説を続けていました。あなた、中学の国語の古文暗唱コンクールじゃないんだから。残念ですが、彼は落ちたでしょう。しかしながら、もっと驚いたことに、直前に面達を読んでいた人が他にもたくさんいたのでした。これには本当にびっくり。あれいいのかなぁー。

あと、100人単位の質問会で自己PRを延々としてくれる人もいました。質問の前置きだけで1分くらいしゃべって、さらに質問の内容が意味不明。大変迷惑です。答える人も返答に困っていました。ただでさえ時間がないのに、その彼のせいで大幅に時間が遅れ、僕はそのあとに他の面接が入っていたのでイライラしっぱなしでした。

「協調性がありません」にチェック入れるな、僕なら。

そういう協調性の無い人もいれば、かなりアクの強い人間もいました。その彼と話をしていて志望動機の話になったのですが

彼「いや、別にこの会社どうでもよくってさ。とりあえず自分の会社作るためのコネができればいいかなって思ってさ。」

つ、つよい。そこまで、ぶっちゃけれれば大したもんだ。もっとも、内心でそう思っている人間はたくさんいるかもしれないですけどね。

そんなこんなで就職活動も結構楽しいこともあるわけですが、やっぱり早く終えたいというのが本音ですね。たぶん来週も活動が忙しくて、しばらく日記は更新できませんが僕の就職が決まるように祈っていてください。


2002年8月11日(日)

宵の明治村

昨年から相方にせがまれていた明治村に行ってきました。現在、お盆の期間は女性は浴衣を着ていくと、入場料はタダ。男性は普通に払って入場します。(1600円。高っ!)明治村もずいぶんアコギな商売をしてくれます。まあ、しかし、こんな暑い時期には当然客足も減るわけで、営業方針としてはなかなかなものだと思います。

さて、明治村に行くために、まず相方は浴衣を着ていかなくてはなりません。しかし、相方の家からより僕の家から明治村に行く方が近いので、相方が僕の家まで車で来てくれることになっていたのです。さすがに浴衣のまま車を運転するのは危ないので、浴衣は僕の家で着替えるということにしました。当初の予定では、うちの母親が浴衣を着せるのを手伝ってくれる予定だったのですが、運が悪いことに母親はその日外出してしまい、代わりに僕が浴衣を着せるのを手伝うことになりました。(苦笑)

しかし、ネットってものは便利ですね。「浴衣」、「着付け」と検索したら、あっという間に浴衣の着付けのサイトにたどり着けました。

「よっしゃ。これでバッチリ着せてやるからな!」

まあ、すぐに脱がすんだけどね。ぐへへ。と親父ギャグを飛ばしつつ、着付けは始まりました。

着付けが始まったのは良かったのですが、僕が全くの役立たずだと分かるまで時間はかかりませんでした。

まず、浴衣の完成形が分からない。「これで合ってんの?」と聞かれても正解が分かりません。だから、「うん。いいんじゃない?」と答えるしかありません。そうすると、「もう!適当いってる。」と怒られます。だって、本当に分からないんだから仕方ないじゃないですか。

さらには、一応着付けのHPを見ながらやっているのですが、着付け独特の用語ってあるじゃないですか。「身八ツ口」(ミヤツクチ)とか「おはしょ」とか。こんなもの、普通の男なら知らなくて当然です。だからHPを見ても、書いてあることはさっぱり分かりません。ただの記号の羅列です。いよいよ途方に暮れてしまいました。

そこで仕方なく、うちの母親に電話をして助けを求めました。

僕「今どこにいるの?」
母「ん?南木曽。(長野県の方に旅行に行っていた。)」

うぉぉぉーい!遠いよっ!

もう電話では埒があかないので、諦めて自力で着ることになったのですが、その時!もう一度母親からの電話がなりました。

僕「もしもしー。何?」
母「今、叔母さんに電話して、そっちに行ってもらうことになったから。」

うちから徒歩で2、3分のところに叔母が住んでいるのです。電話を切って2、3分すると、約束どおり叔母が来てくれました。叔母はなかなか手馴れたもので、あっという間に相方は浴衣らしい姿になっていきました。

一体今までの時間はなんだったのか・・・。

結局、僕の無能さ加減だけが露呈する結果となったのでした。10分もすると着付けは終わり、いつでも出発できる準備はできました。そして、叔母に相方の帯の所だけ気を配るように言われ、いよいよ明治村出発です。

実は、以前の日記で書いたIくんの結婚式が僕の初めての明治村だったのですが、結婚式の時は教会しか見ていないので、実質初めてでした。明治村に着くと、やはり浴衣を着た人たちがたくさん見られます。夕方の明治村は風も吹いていたせいか意外と涼しく、この頃の暑さとは打って変わった気候でしたが、まだまだ浴衣の似合う季節です。男性の客の中にも、浴衣姿がちらほらと見られますが、やはり女性の浴衣姿の方が見ていて気分がいいものです。

明治村の中に入ると、その名の通り明治時代の古い建造物がたくさん立ち並んでいました。見ていて感じたのですが、昔の建物ってお洒落ですよね。現代の建物は機能性には優れているんですけど、デザインとしては単純かつ平凡なものが多いです。昔の建物は監獄ひとつとってもお洒落なものですし、そういうところは現在の建物も学ぶべきだなと思いました。

いろいろ見て回るうちにすっかり日も暮れて、ライトアップされた様々な明治時代の建造物がいっそう映えて見えました。そのまわりを浴衣姿の女性たちが大勢歩いています。こういった風景は実生活ではなかなか無い光景であり、新鮮な感じでした。

僕たちは結局、4時間弱、明治村にいたわけですが、恐るべし明治村!かなり広いです。結構、建物を真剣に見たこともあってか、全体の半分くらいしか回れませんでした。自分としてもなかなか楽しめたので、「次回は残りの半分を回ろう!」と相方と約束して明治村を後にしました。

今日の日記を読んで、明治村に行ったことがないという人がいたら、一度行ってみてはいかがでしょうか?大人でもなかなか楽しめますよ。

あっ!ちなみに現在(お盆)、男性は浴衣で行くと団体料金で入園できるそうです。ただし浴衣は似合わない人だと、バカボンになってしまうので気をつけて下さい。実際にそういう人いました。


2002年8月14日(水)

就職活動A

暑い中、歩き回ったこともあってかようやくスーツが脱げそうです。「これもヒトエに全て僕のおかげ・・・ブハッ。」(分かる人にしか分からないネタで、すいません。)と内輪ネタから入ったところで、ひとまず安堵のひびのです。こんにちは。

正直、思ったより早かったです。「この夏はずっとネクタイを締めてサラリーマンと一緒に通勤かー。」と思っていたので、この結果には満足しています。

実をいうと、最終面接を受けたのが一昨日のことで、通例でいけば内定は大概その場で出るか、その日のうちに出るものですから、「ああー。だめだったのかー。チクショーウ!」と家で悪態をついていたのでした。というのも、その最終面接というのがこれまで受けてきた中でもワースト3に入るぐらい感じの悪い面接だったからです。

その面接というのは、いわゆる圧迫面接というやつなのでしょうが、とにかくムカつきっぱなしでした。僕にとって圧迫面接など、死ぬほどやってきているので屁とも思わないのですが、その圧迫の仕方というのが何ともネチっこい。何か僕が言うと、それをことどく否定する。言うこと、言うこと全部を覆されると、さすがにこちらもヒートアップしてきまして、もう少しで本当に殴りかかるところでした。(笑)

面接官「君はこれについてどう思うの?」
僕「はい。○○○という理由でこう思います。」
面接官「ホント?違うと思うなー。」
僕「いや、確かにおっしゃることも分かりますが、こういう理由でですね・・・。」

(以下、この押し問答が延々30分以上。)

さすがにこんな状態が30分も続けば、正常な人間でも青筋がピクピクッとなってくるわけで、顔は笑顔でも内心ムカつき度はレッドゾーンを越えていました。まあ、結果として内定をいただけたので、「今となっては過去のことは笑って水に流そうや。あははははー。」ですけどね。

今回の面接も最悪だったわけですが、僕が今まで受けてきた面接の中で史上最悪だったのは、某TV局の面接です。席についた瞬間、面接官が「ごめん、タバコすっていい?」ですからねー。「いいわけねぇーだろ!」と思いつつ、ニッコリ笑顔で「どうぞー。」と言いましたけどね。

ここまでやる気がないところを出されると、さすがにこちらもトーンダウンです。こっちも真剣なんですから、少しは向こうも誠意を見せてほしいですよね。これは圧迫でもなんでもなく、ただの怠惰ですからね。とても人を見ようという態度ではなかったです。ええ。あれ以来、僕はこのTV局が大っ嫌いになりました。

まあ、面接も当たりはずれがありますよね。ぶっちゃけ、面接官との相性が悪かったらそれで終わりですからね。向こうも一日何人も人に会って、同じようなことを聞かされるわけですからイラついているわけですよ。ですから、ちょうどイラつき度がピークに達した時に面接をした人なんかは、残念ですけど何言っても無駄でしょうね。(笑)

あと生理的にどうしても受けつけない顔とかね。絶対あると思いますよ。「コイツの顔、なんか知らんが腹立つわー。」とかあるじゃないですか。ああー、おそろしい。面接官のサジ加減でこっちの人生が決まるなんて。そういう意味でも、内定いただけてよかったですよ。本当に。

とりあえずは来年行く所がなくて路頭に迷う、ということは回避できそうなので、あとはのんびりと失われた夏を取り戻したいと思います。


2002年8月15日(木)

夏の日

僕と相方には、「遊びに行くと必ず晴れる」というジンクスがある。今日も午前中は雨がパラついたようだが、相方と出かける午後にはすっかり晴れていた。このジンクスはまだまだ健在なようである。

夏の空には入道雲がよく似合う。にょきにょきと上に上に広がっている雲は、気持ちを憂鬱にさせるものではなく、雲の合間に見える青空をいっそう引き立てるものだ。そんな気持ちのいい昼下がり、常滑に向けてドライブは始まったのだった。

常滑というと昔から陶器の街として知られているが、最近では若者が多く訪れるお洒落な街になっているらしい。僕は尾張地方の人間なので、滅多に知多半島の方に行くことはない。常滑も何回か通過したことはあったが、そこに留まって訪れたというこは今回が初めてだ。それ故に今回のドライブはいわば初体験。

「ひびの・ミーツ・常滑」である。

相方に誘導されて連れて行かれたのは、古い陶器屋さんや雑貨屋さんの立ち並ぶ通りであった。そこは観光客用の散歩道が整備されていて、今日はそれ程ではなかったが休日ともなると人でごった返すらしい。

散歩道沿いの店のほとんどは、古い建物を利用して中を改築したものである。陶器はもちろんのこと織物、ガラス工芸品など現代風にアレンジされていて、若者でも十分に楽しめる空間である。というか若者向けに作られているといった方が良いだろうか。

僕たちは「風」というギャラリー兼カフェに行ったのだが、これがまた感じが良いところで、日本の古き良き伝統と現代アートがマッチしたとてもお洒落なお店であった。散歩道沿いに店が密集して建てられているわけだが、これらの店は独立しているのではなく1つの集合体としてコミュニティーを作っているようだ。常滑は名古屋から結構近いし、散歩しがてらいろいろな店を回ってみるのもなかなか面白いと思われる。

って俺は何者だ?

別に常滑の回し者じゃないのだが、雑貨屋さんが好きで「もう行くとこねーよ。」というカップルにはお勧めの街である。


2002年8月17日(土)

時代は繰り返す

「アイタタタ。アイタタタ。転んだ。転んだ。」

午前3時ごろ、誰かの叫び声で不意に目が覚めました。

「アイタ。アイタ。転んだ。」

まだ言っています。こんな夜中に、しかも大声で叫ぶ人間など我が家には一人しかいません。私の父親(48)です。昨夜は近所の友人の家で飲んでいたらしく、午前3時ごろベロベロになってのご帰還です。

その声で母親も目が覚めたらしく、奥の部屋から出てきました。

母「もぉー。いいかげんにしてよ!」
父「転んだ。転んだ。」

まだ言うか!

母「もぉー。そんなとこで寝ないでよ!」
父「(zzz・・・。)」
母「もうっ!こんな重たい人持てん!」

ついに母親にも見捨てられました。

どうやら父親はトイレで寝込んでしまったらしいです。本来ならここで僕が起きていってベッドまで運ぶ役割なのでしょうが、あえて無視しました。だって本当に重いんですもん。大体そこまで飲むアホがいるか?そんな人には付き合っとれん。アホらしい。

翌朝、僕が起きると顔に傷を作った父親がもう起きていました。

僕「昨日何だったの?うるさい。」
父「おう、自転車に乗ったのはいいんだけどよー、真っすぐ進まんでいかんわ。」(名古屋弁で)
僕「そんな真っすぐ走れんほど飲んだらいかんわ。」
母「ちっとも布団に来んで、死んどるかと思ったがね。」
僕「(うわぁ・・・。)」
母「そんでもトイレのドアをゴンゴンってやったら「・・・うーん。」言ったもんで「あっ、生きとるわ。」と思って、そのまま放っておいたがね。」
僕「(うわぁ・・・。)」

それにしても、最近の父親は酒癖が本当に悪いです。母親曰く、昔は全く飲まない人だったそうですが、最近はアルコールを水のように浴びるほど飲んでいます。全く呆れてモノが言えません。でも、うちの身内にはこれに勝る強者がいたことを忘れていました。

今はもう亡くなっていないのですが、母方の父、つまり僕の祖父です。僕も晩年しか知らないのですが、その飲みっぷりといったら只者ではありませんでした。そういわけで、母親はその祖父を見て育っているので、結婚する時に「絶対酒飲みとは結婚したくない」と思っていたそうです。

あんた、見事にはまってんじゃん。

そう、確かにうちのじいちゃんの酒飲みっぷりは並じゃありませんでした。幼い記憶の中でシラフでじいちゃんに会った記憶は全くありません。朝ごはんのかわりに酒を飲み、何かと理由をつけては酒を飲む。はっきりいえばアル中ですな。(笑)

他にも、見知らぬ人に送ってきてもらったり(見知らぬ人に心配されるぐらい飲んでいたらしい)、桜の木にぶら下がって落ちて骨を折ったり、川に自転車で落ちていったりと、とにかくいろいろやらかしてくれました。それでも体と内臓は丈夫だったようで、死ぬまで大好きな酒を飲んでいました。幸せな人です。

さすがにじいちゃんほど酷くははないですが、うちの父親も最近それに近い状態になってきているような気がします。頭の方もじいちゃんと同じくハゲてきているし、母親が結婚する前に嫌だと思っていたことが全て現実となってきているらしいです。

時代は繰り返す、ということでしょうか。


2002年8月18日(日)

酒にまつわるエトセトラ

昨夜は部活の同輩との飲み会でした。いつもの通りバカ話を肴に楽しくお酒を飲み、飲み会は滞りなく終了。

しかし、学生時代は本当にアホのように酒を飲んできました。飲んでは吐き、また飲んでは吐き、とかなり非経済的な飲み方をしてきたものです。そう考えると今の飲み会は本当に平和なもので、安心して飲めます。

学生時代、僕は酒で数々の失敗をしてきました。

植木の前にうずくまって動けず、じっとしていたり。

周りの人に誰かを問わずキスを迫ったり。(覚えてません)

井上君をただひたすら殴ってマジギレさせたり。(ごめんなさい)

はっきり言って、いい思い出がありません。というかあまり覚えていません。(なんて迷惑な奴だ。)「酒は飲んでも飲まれるな」とはホントよく言ったものです。

酒を飲んで数々の失敗をしてきたそんな僕ですが、その中でも思い出に残っていることが2つあります。

1つは、あまりに僕が荒れすぎて同輩をマジギレさせてしまったことです。ちょうどあれは僕が2年生の夏でした。失恋してしょぼくれていた僕は「酒に飲まれた」というか、「確信犯的に酒に飲まれて」みました。もう荒れて、荒れて手がつけられなかったそうです。

携帯を壁に投げつけるは、勝手にどこか行って同輩に心配をかけるは、先輩に悪態つくは。僕だったらそんな奴殴ってます、マジで。それでいつもは温厚なOくんがマジギレしてまして、これはさすがに凹みました。あとにも先にも彼にキレられたのは、これが最初で最後です。Oくんがキレることなどめったにないので、あの時は本当にまずかったなーと真剣に反省しました。

あともう1つは、通称「アポロ事件」と僕は呼んでいます。知っている人は知っていると思いますが、これも大失敗でした。この話も2年生の時の話なのですが、ある時Kくんの家で飲み会があり、それに僕も参加していました。その時は特に失恋もしていなかった(笑)ので、このまま何事も無く終わりそうな感じでした。そして、飲み会も終盤に差しかかり、部屋の雰囲気もだんだんとマッタリとしてきたのです。

しかし、僕はその時あることをふと思いついてしまったのです。

「アポロ食いてー」と。

よせばいいのにその時僕は原付でKくんの家に来ていたので、原付に乗ってアポロを買いにコンビニに行ってしまったのでした。(飲酒運転はだめですよ。)行きは快調でした。しかし、帰り道Kくん宅まであと50メートルまで来たところで悪魔は待っていました。

その道は少しカーブになっていたのですが、いつものように普通に曲がろうとしても原付は曲がってくれません。「ああー、ああー」とか言っているうちに、あっという間に溝へ直行です。

「ガシャーン!」

原付はたいした傷ではなかったのですが、僕の方は右手から血がだーらだら。でも、酒を飲んでいるせいか、その傷口もそんなに痛くなかったのです。ということで、応急手当だけしてもらってKくん宅で僕は寝てしまいました。

・・・3時間後。酔いが醒めてくると同時に痛みがだんだんひどくなってきました。そりゃそうだ、血が止まらないぐらい傷してるんですから。N先輩の「これは病院行った方がいいよ」という一言で、Kくん家近くの八事○赤病院の救急へ直行です。

治療を受けるにしても、その当時まだ未成年だったので「飲酒運転をして転んだ。」と言うわけにもいかず(言ったら確実に家庭裁判所行きです。)、「転んで溝に落ちた。」と酒の匂いをプンプンさせながら言って、医者を呆れさせました。今思っても、あれは本当に痛かったし、なにより危険なので、酒を飲んで運転するのだけは絶対やめようとその時心に誓いました。

やっぱり酒はほどほどにしなくてはいけません。
酒の力を借りて調子に乗ってはいけません。
酒を飲んだら運転してはいけません。
当たり前のことですが、失敗してみて初めて分かるものです。


2002年8月21日(水)

夏です!

「みんなー!恋してますかー?」

一人っきりでこの6畳の暑苦しい部屋から叫んでも、誰も答えてくれるはずがありません。どうも、ひびのです。

うあああああ。暇だあああああ。就職活動も一応けりがつき、ホッととしているわけだが、今度はやることがなく暇を持て余しているわけである。友達はほとんどみんな就職していて遊べないし、夏休みこどもアニメ劇場を見てもおもしろくもない。この歳になるとおそろしくやることがないのである。仕方ないので手始めにRPGゲームでも始めてみることにした。

・・・5分後。飽きた。というか、謎解きが面倒くさい。RPGの根幹をここまで揺るがす感想があるだろうか。謎解きがRPGの本質じゃん!それを真っ向から否定してどうする。それが自分の口から出たのも驚きである。いよいよオヤジになってきた証拠だろうか。

じゃあギターでも弾くか。
よし、相方へのラブソングを作るぞぉー!おーう!

♪ポローン♪ポローン

・・・浮かばん。メロディー浮かばん。才能ないわ、やめよ。早っ。何?この諦めのよさ。惚れ惚れするね。

こうなるといよいよやることがなくなってきた。・・・寝るか。っておーい。デブなのがますますデブになるよ、あんた。そうなのである。やることがないからといって寝てばかりいては太る一方だ。

・・・5分後。寝てた。しっかり寝てた。うわぁ。ていうか、起きたら11時半じゃん。大学時代に逆戻りである。しかも、大学時代は部活に行っていただけまだましだ。この状況は、かなり酷い状況である。何とかこの状況を打破しなくては、むにゃむにゃ・・・。

また寝てました。
社会人の皆さん、すいません。


2002年8月26日(月)

新婚さんいらっしゃーい

土曜日の夜からたびたび登場するIくん夫妻の新居に、高校時代の友人のA川とお邪魔してきました。Iくん宅は岐阜県の某市にあり、軽く田舎入ってます。最近、名古屋もめっきり涼しいわけですが、田舎ならさぞかし涼しいことだろうと思っていました。ところが、ここで驚愕の事実が。

うちの方が実は涼しかったりしました。(どこに住んどるんだ!)

Iくん家ではクーラーを利用していたのですが、うちではクーラー年間平均稼動回数が2回とほとんど使いません。そのぐらい涼しいです。のーう!うちは岐阜県の山奥に勝る避暑地のなのか!(Iくんすいません。)

それにしてもですね。やっぱり新婚家庭ってのはいいもんですよ。

真新しい家具。
所々に飾られた二人の写真。
かわいい奥さん。

もうね、全部ぶっ壊してやりたくなりましたよ。(Iくんホントすいません。)

いやいや、うそです。何かね、良かったですよ、初々しさが感じられて。(むふっ。)って「就職もしとらんお前が言うな!」という感じでしょうが、ホント新婚さんはいいですわ。

そんな二人の空間にですね。バカな二人の男が割り込んでくるわけですから、さぞかし大変だったことと思います。この場を借りてお礼を申し上げます。

IくんとYちゃん本当にありがとう。

しかしなあ、高校時代から一緒にバカをやってきた友達がですね、「結婚をして、現実に生活をしている」、これは結構、カルチャーショックですね。僕なんかといえば、家でボーっとして鼻なんかほじってテレビ見とるわけですよ。その間にも彼らは新婚生活を送っとるわけです。

この差は何だと。

僕が家で悶々と一人で「♪I LOVE YOUー」とか、ギターで弾いとる間にも

Iくん「今日の夕食何だろな?胸ターッチ!」
Yちゃん「もうだめだったら。あっちで待ってて(はぁと)」
Iくん「分かったよ。ア・イ・シ・テ・ル。(テールランプで)」

何てやっとるわけですわ。WAO!新婚夫婦!

はぁー。もうついてけない、自分に。

なんて妄想で書き進めてしまいましたが、マジで楽しかったです。今度は是非うちに遊びに来てください。待ってます。


2002年8月30日(金)

北の国から

20年間続いてきたこのドラマも今回の放映で最後となる。自分が幼い時にはそれ程共感を覚えなかったのだが、だんだん大人になってきてこのドラマの良さが分かってきた。

別に僕は自然主義者でもないし、さしてセンチメンタリストでもない。それでもこのドラマに惹かれてしまうのはなぜだろうか。その理由は、明確なメッセージがこのドラマにあるからではなかろうか。

「人々よ、自然に帰れ。」

痛いほどにばか正直にこのメッセージが伝わってくるのだ。

現代人が忘れてしまったもの。便利さという名の下に自然を捨て、破壊し続ける。今もその歯止めが効かずに、「北の国から」は本当にドラマだけの世界になってしまった。

作者も別に全員に五郎のように生きてほしいとは考えてはいなかったろう。ただもう少し自然の持つすばらしさ、恐ろしさを現代人が知ってもいいのではないかという作者の思いが感じられるのだ。そして、もう1つのメッセージ。

「真っすぐに生きろ。」

不器用なんだけど、もの凄く深い愛情で子どもたちを見守る父親。また、それをしっかりと感じている子どもたち。現代人にまさに欠けているもの、体裁にこだわるのではなく、全身全霊で愛情表現をする。このドラマにはそれがあるのだ。兎角世間体や自分のメンツばかりにこだわる感のある現代においてこのような家族は稀であり、なかなか無いものだけに余計に憧れるのかもしれない。

「自分も純粋に生きれたらなぁー。」

・・・そう思ったのもつかの間、この思いも3日もすればきっと忘れてしまうのだろう。ちょうど格闘技を見た後に始める筋トレと同じで、1回目の筋肉痛が収まる頃にやめてしまうみたいなものだ。

進歩の無い自分。しょーもない。


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